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冬桜の喜び

·3 分

「もろびとこぞりて」というクリスマスの歌をご存知でしょうか。これはイエス・キリストを礼拝するために昔のクリスチャンによって書かれた歌です。その後、クリスマスの賛美歌として広く歌われるようになりました。なぜこんなに喜ぶのでしょうか。

オーストラリアから日本に来たとき、日本の季節の違いに驚きました。オーストラリアにも、もちろん季節がありますが、日本の方がはっきり感じられます。

冬は寒々しい世界です。散歩するとすぐ分かります。葉っぱのない木は寂しく立っていて、色のない山は生命感がありません。秋から冬へと季節が変わることに慣れているはずなのに、毎年その寂しい風景にはっとさせられます。

冬の間、待ち望むものがあるでしょう。冬桜というものがあるんです。見たことがあるでしょうか。春の桜と比べると、その美しさは少し違った魅力があります。

人は長い冬を超えて、桜がやっと咲く春の美しさを大いに楽しみます。花だけではなく、新緑も、暖かさも、この美しさに加わります。

子供が小さいときの思い出があります。妻とお弁当を持って子供を連れて桜でいっぱいの公園に行きました。その日は天気が良く、桜が満開でした。桜の下で家族と一緒に過ごし、喜びを味わいました。

そのような美しさは、冬の後に来るからこそ、味わうことができます。つまり、春が来ると、すべて新しくなります。でも、そのような美しさは長く続きません。

しかし、冬桜の美しさは少し異なります。温かいジャケットを着て、色のない風景の中に咲いている桜が見えたら、心が暖かくなり、嬉しい気持ちになります。

冬桜は一番よい状況を待つ花ではありません。侘しい、何もない冬の中にあっても、冬桜は、喜びを表しています。

冬の風景を見ると、何かが欠けている気がしませんか。

実は、「もろびとこぞりて」という讃美歌にも、このような感覚について歌っている歌詞があります。

この讃美歌によれば、イエスは冬桜のような方です。暗くて寒い冬の中でも、心に喜びをもたらしてくださるのです。

ですから、「主は来ませり」ということを歌うとき、その喜びが来たという意味です。キリストはもうこの世に来ました。聖書には、イエスがこの世の壊れた関係を新しくする方として来ると書かれていました。そして、実際にクリスマスに人として生まれ、それを実現しました。人類を「闇路」から救ってくださる方です。

イエスからくる喜びは一時的なものではなく、続く喜びです。

冬桜のように、イエスの誕生は、寂しい冬の途中にこそ与えられた希望の花です。

この歌の最後に「しぼめる心の花を咲かせ」という節があります。冬桜が静かに咲くように、しぼんだ心にも花を咲かせてくれる——そんな喜びを歌っています。