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御言葉の種

·5 分
第一サムエル記 - この記事は連載の一部です
パート 2: この記事

第一サムエル記 1章19〜28節

行動するべき時が来たと感じたことがあるでしょうか。

試験の前には勉強しなければなりません。赤信号では止まらなければなりません。もっと重要な場面もあります。結婚したいなら、恋人に聞かなければなりません。

人生には、待つ時と行動する時があります。第一サムエル記1章の後半は、まさに「行動する時」についての物語です。でも、最初に行動するのは人間ではありません。

神が行動されます
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ハンナは長い間、子どもが与えられないことで苦しんでいました。毎年シロに行く旅の中で、彼女は涙を流しながら祈りました。そして祈りの後、彼女の顔は変わりました。平安が与えられたのです。

19節にこうあります。「主は彼女を心に留められた。」

「心に留められた」という表現は、聖書の中で特別な意味を持っています。これは単に「忘れなかった」ということではありません。すべてを知っておられる神が、ある人のことを記憶の中から呼び出し、必ず行動するということです。

ノアの時もそうでした。洪水の後、「神はノアを心に留められた」とあります。アブラハムの時も、出エジプトの時も、同じ表現が使われています。神が「心に留められる」とき、救いの行動が始まります。

だから、これは良い知らせなのです。

私たちは時々、神に忘れられているように感じることがあります。祈っても何も変わらない。待っても待っても答えがない。その感情はよく分かります。でも、それはサタンの働きです。神は私たちを心に留めておられます。ハンナを心に留められたのと同じように、私たちのことも心に留め、救い主を遣わしてくださいました。

そして20節、ハンナに男の子が与えられました。神が行動されたのです。

御言葉を信頼します
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話はエルカナの応答へと進みます。21節で、シロに上って行く時が来ました。「自分の誓願を果たすために」とあります。

興味深いことに、この物語でエルカナ自身が誓願を立てた場面は書かれていません。誓願を立てたのはハンナです。でも、エルカナは妻の誓願を自分のものとして認めていたようです。

22〜23節で、ハンナは夫に相談しました。「この子が乳離れするまで待ちたい」と。エルカナは同意しました。そして、こう付け加えました。「ただ、主がその御言葉を実現してくださるように。」

ここで少し説明が必要です。もともとのヘブライ語では、「ヤハウェは御言葉を守られますように」と書かれています。エルカナは何を言おうとしていたのでしょうか。

男の子が与えられたこと自体が、神の言葉の現れでした。神はご自分の目的を果たすために、ハンナの誓願を通して、彼女の胎を開かれました。そして、その誓願によって、子どもは主に渡されることになっていました。

神がご自分の言葉を守られるとは、この目的が最後まで果たされるということです。驚くべきことに、この物語の主人公はハンナではありません。神ご自身です。

エルカナは御言葉を信頼していました。根拠のない信仰ではありません。行動される神がおられるからこそ、信頼できるのです。

私たちにとって、遣わされた救い主はすでに現れました。十字架と復活によって、神の言葉は完全に成就しました。私たちの信仰の基礎は完成しています。だからこそ、行動される神を信頼して歩むことができます。

ハンナが行動します
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話はハンナの方に戻ります。24節、時が来ました。

当時、乳離れは遅かったので、サムエルは5歳くらいだったかもしれません。想像してみてください。長い間待ち望んでいた赤ちゃんがやっと与えられたのに、もう手放さなければならない。この旅の準備はどれほど大変だったでしょうか。

24節の最後に「その子はまだ幼かった」とあります。ハンナにとって、まだ小さくて手放すのが難しかったはずです。もしかしたら泣きながら準備をしたかもしれません。それでも、彼女は上って行きました。

25〜28節で、ハンナは誓願を果たしました。唯一の息子を主に渡しました。これからどうなるか分かりません。もっと子どもが与えられるかどうかも分かりません。でも、その時点では、サムエルだけが彼女の息子でした。

神が行動されたことへの応答として、ハンナは長男を手放しました。自分の将来を主に渡したのです。

私たちの応答
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ハンナにそれができた理由は、主権である神がおられるからです。神にご自分の将来を委ねるなら、全生涯、永遠まで本当の安全と安心が与えられます。

私たちには、手放せないものがあるでしょうか。

この物語の中で、エルカナもハンナも、サムエルがこれから神の計画の中でどんな役割を果たすのか知りませんでした。二人が将来に何を望んでいたのかも書かれていません。むしろ、その状況を通して神の目的が達成されるために、二人は誠実に応答しました。

現代の私たちにも、それぞれしたいことや望んでいることがあります。でも、その上に神が働いておられます。

イエスは、神の目的に従うことの最大の模範を示されました。捕らえられる前の夜、イエスはこう祈られました。

「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」(ルカ22:42)

神の主権への応答は一つしかありません。それは、神に委ねて従っていくことです。

ハンナは種を蒔きました。自分の最も大切なものを神に渡すという種です。その種から、イスラエルを導く預言者サムエルが育ちました。

私たちも種を蒔くことができます。神の御言葉を信頼し、神に委ねるという種です。その種がどのように成長するかは、神の御手の中にあります。でも、行動される神がおられるからこそ、私たちは安心して種を蒔くことができます。

第一サムエル記 - この記事は連載の一部です
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