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神は救いである神

·5 分
第一サムエル記 - この記事は連載の一部です
パート 1: この記事

第一サムエル記 1章1〜18節

救いはどこから来るのでしょうか。

自分の努力でしょうか。運でしょうか。それとも、まったく別のところからでしょうか。

第一サムエル記は、この問いに答える物語です。そして、その答えは一人の女性の苦しみから始まります。

つらい状態
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サムエル記の時代(紀元前1100年頃)、イスラエルは混乱の中にありました。士師記21章25節にこうあります。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」王様がいない。民は利己的な生活をしている。神を無視している。そのような時代でした。

その時代に、エルカナという人がいました。彼には二人の妻がいました。ハンナとペニンナです。ペニンナには子どもがいましたが、ハンナには子どもがいませんでした。

5節と6節に注目してください。「主は彼女の胎を閉じておられた」と二回も書かれています。これは偶然ではありません。ハンナの状態は単なる運命ではなく、神が治めておられる中で起きていることです。ナレーターは読者にそのことを明確に伝えています。

そして、ペニンナはハンナをいじめました。一回だけではありません。毎年、シロに礼拝に上るたびに、ハンナの怒りをかき立てました。何年も続いたのです。

ペニンナはハンナの苦しみをよく知っていました。それなのに、いじめ続けました。しかし、考えてみてください。ハンナの状態は神から来ているものです。その状態をいじめるということは、神の計画をいじめることになります。ハンナの敵は、同時に神の敵でもあるのです。

ハンナは子どもがいなく、敵がいる。つらい状態でした。

絶望からの祈り
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9節から11節で、ハンナは行動を起こしました。シロでの食事が終わった後、彼女は立ち上がり、主の神殿に行きました。

10節にこうあります。「ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。」

そして11節で、彼女は誓願を立てました。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。」

「万軍の主」という表現に注目してください。これはサムエル記で初めて出てくる表現です。「万軍」とは、軍隊だけではありません。霊的なもの、天にあるもの、すべての創造されたものを治める方という意味です。

ハンナは、すべてを治める方に向かって祈りました。なぜなら、この方にしか助けを求めることができないからです。暗い場所にいるとき、光を持っている方に向かうしかありません。

彼女の祈りは絶望からの叫びでした。「私の苦しみを見てください!もし男の子を下さるなら、お渡しします!」これは取引ではありません。すべてを治める方の前に、自分のすべてを差し出す祈りです。

信仰の平安
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12節から18節で、場面は変わります。

祭司エリはハンナの祈りを見ていましたが、彼女が酔っているのだと思いました。唇だけが動いて、声が聞こえなかったからです。エリは言いました。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

ハンナは答えました。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。」

「心を注ぎ出す」という表現が印象的です。ハンナは自分の心のすべてを神の前に注ぎ出しました。隠すことなく、飾ることなく、ありのままの苦しみを神の前に置いたのです。

エリは優しい言葉で答えました。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」

18節の最後にこうあります。「それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。」

何かが変わりました。まだ子どもは与えられていません。状況は何も変わっていません。でも、ハンナの顔は変わりました。平安が与えられたのです。

救いはどこから来るのか
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ハンナは、救いがどこから来るかを知っていました。万軍の主からです。

彼女は自分を「はしため」と呼びました。これは単なる謙遜の表現ではありません。神の召し使いとして、神のご好意を求める姿勢です。そして、そのご好意を得るために、最も大切なもの(長男)でも捧げる覚悟がありました。

ハンナの物語は、イスラエル全体の状態を映し出しています。王がいない。民は利己的。敵に囲まれている。救い主が必要でした。

ハンナは「男の子」を求めて祈りました。ヘブライ語で「子孫」とも訳せる言葉です。聖書を通して、人々は救い主となる子孫を待ち望んでいました。なぜなら、その救い主は人間の子孫から来ると約束されていたからです。

ハンナの祈りは、「救ってください」という叫びでした。

私たちもハンナと同じように、救い主が必要です。でも、ハンナと違って、私たちはその救い主の名前を知っています。神はイエスを救い主としてこの世に遣わしてくださいました。

神のご好意は、すでに与えられています。恵みとして与えられています。

私たちも心を注ぎ出して、イエスに信頼するなら、ハンナと同じ平安が与えられます。状況が変わる前に、顔が変わります。なぜなら、神は救いである神だからです。万軍の主は、私たちの祈りを聞いてくださいます。

第一サムエル記 - この記事は連載の一部です
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